大波止のつづき・・・
ちょっと遠回りですが、川沿いに歩いて左へ曲がり電車通り沿いに長崎駅方面へ少々歩いて夢彩都(ゆめさいと)へ戻りそのまま港沿いに歩いて行きますと・・・・・思わず足が止まる物がございます。
波止の鉄砲の玉と呼ばれているそうです。
島原の乱の時、キリシタンの居城となった原城を地下から爆破しようと作られた砲弾といわれています。玉の周囲は184.8センチ、重さ619.2キロもあります。
実際には使われず、玉は長崎に運ばれて大波止海岸に据えられ、「大波止の鉄砲ン玉」と呼ばれて、今日まで市民に親しまれており、明治37年には「玉江町」の町名も生まれました。
見えにくくてすみません。江戸時代の絵図に、大波止にこの玉が据えてあった事が記されています。右下に記されています。
波止の鉄砲の玉と呼ばれているそうです。
島原の乱の時、キリシタンの居城となった原城を地下から爆破しようと作られた砲弾といわれています。玉の周囲は184.8センチ、重さ619.2キロもあります。
実際には使われず、玉は長崎に運ばれて大波止海岸に据えられ、「大波止の鉄砲ン玉」と呼ばれて、今日まで市民に親しまれており、明治37年には「玉江町」の町名も生まれました。
見えにくくてすみません。江戸時代の絵図に、大波止にこの玉が据えてあった事が記されています。右下に記されています。